こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。
いきなりですが、「言霊」という言葉があります。
実はこの記事を書いているときにですね、

「おまえは性格に問題がある」と幾度となく文字を打ち、さらに脳内で音読しているうちに、当時の心情に引っ張られて思った以上につらくなっちゃいましてね!
そこで思い出したのが「言葉の負の力」。
何気なく人の悪口を言ってしまった(表に出してしまった)途端に、「もう、そのとおりにしか見えなくなってしまった」ことがあり、後悔したことが何度かあったなと思い出しまして。
今回はそんな、「悪口を言ってしまったことで、悪い部分しか見えなくなってしまった」お話をします。

「言葉の負の力」は怖いです
悪口にも言霊があるかも。急に「相手のことが悪く見えだした」出来事
人の悪口で言霊を感じたのが、勤め人時代に同僚とその場にいない第三者のことを言っていたときのことです。
↓しょっぱなから悪口の会話ですみません!

○○さんて、(悪口の内容)ですよね~!

あ~、確かにそうかも~!
また別の日には、

△△さんて、(悪口の内容)なんですよ!

え、そうかな~
↑と、こんな感じに会話をした直後、自分の中でどこかモヤモヤした気持ちが生まれていることに気付きまして…。
(そもそも人間関係とは、相手に「この部分はいいけど、あの部分はちょっとなぁ」と思いながらも、お互いうまく合わせて付き合っていくものなのにね。)
しかし悪口を言った後、それまで「ちょっとこの部分がなぁ…」と少し気にはなるけど、流せていた相手のことが急に悪く見えだしたのです。
何と言いますか、私の中で「あの人は『悪く言っていい人』の分類」に入っちゃったんですよ。
そう、悪口を口にした瞬間に、脳が「言葉通りに」に認識しはじめたのですね。
これぞ言霊?悪口を言った途端に脳が認識しはじめた
悪口を口に出してしまった途端に、脳がそのとおりに相手を認識しはじめてしまった。
その悪口の標的となってしまった相手は、私の中でそこまで「悪く」捉える必要のなかった人々にもかかわらず(すみません)。
そこで私、悪口を言ってしまったことを後悔します。「良く」見ようと思えば、いくらでも良く見れた人々だったのに…。

ひょっとして、思っていたことを言葉に出してしまったから?
これがいわゆる言霊というやつ?
頭の中を言葉に出すのは、使い方によってけっこう危険なのでは
このように、普段なんとなく自分が考えていることを言葉に出した話と言えば、この「会話がつまらない友人」の件があります。
こちらの友人に対して私は、「この人と話すのはつまらない」と薄々気付いていたにもかかわらず、私が「遠慮の膜」を張っていたおかげ(?)で、私からずっと「つまらない」と思われずにいました。
しかし私が「ああ、もういいや」と言葉にしたことで、今では素直に「つまらない」と思っています。(ディスりになっててスマヌ。)
遠慮の膜とは、実は、
「言葉で悪く言ってしまうと、言葉の力に引っ張られてしまい、悪く見える(悪くと言っていいのかわかりませんが)可能性がある」
ため、考慮してのことでもありました。
まぁ、私に↓こういう極端な性質があるから、というのもあるのですが。

こういう言霊の力、平気な人は平気なんでしょうが、私は後からの「相手の印象の書き換え」や「悪い部分も認めつつ付き合っていく」というのがなかなかできないのですよ。
だから、悪い面だけでなく「良くもとれる」人のことでも、
「悪口を言ってしまうと、もう『そのとおり』に認識されてしまう可能性がある」
ので、ああ気を付けなければ…と思った出来事なのでした。
(蛇足の補足)言霊で「言葉の負の力」に触れた書物
こんな悪口を通じた言霊で思い出したのが、田房永子さんの「ママだって、人間」。
毒親を描いた、「母がしんどい」で有名な方ですね。
この漫画の中で、出産後ママさんヨガに通いはじめた田房さんは、自分の子どものことを悪く言ってしまうママ友と遭遇します。
そんなママ友に対して田房さんは、
ハルト君ってフツウのかわいい5ヶ月児なのに
ハルト君のママはいつもハルト君を悪く言うママの言葉をきいていると
だんだんハルト君がでくのぼうに見えてくる…言霊ってすごい
どうして子どもを悪く言うんだろう「ママだって、人間」 P78より
自分の母親から悪く言われてしまったがために、第三者である田房さんから、だんだんと悪く見えだしたハルト君。
まさに、悪い言葉の力の典型的な例。言霊の力を考えさせられる場面です。
(ちなみに、ハルト君のお母さんは、本当はハルト君のことがかわいくて仕方ないのに、自分の自信のなさから我が子であるハルト君を下げる言い方をしています。)
つづいて「宇多田ヒカルの言葉」から。
いつか、歌手であった母がこんなことを言った。「悲しい歌を歌うと悲しい人生になる、だから悲しい歌は歌いたくない」。
「宇多田ヒカルの言葉」 P10より
宇多田ヒカルはこの本以外でも、他のところで同様のことを言っていたのを覚えています。(ソースがなくて申し訳ない)
宇多田ヒカルの歌には、どこか予言みたいなところがあります。母の姿を見ていた娘である宇多田本人も、言葉の力をとても感じたはず。
ハルト君はでくのぼうじゃないし、普通のかわいい赤ちゃん。
藤圭子も、本当はもっと違う人生と最期を望んでいたはず。
使い方によって、言葉は思いもよらない結果を生むことがある。
言葉に霊が宿るというなら、私にとって言葉とは、どう使っていくべきなのだろう。
ふと、そんなことを思うのでした。
「良くもとれる相手」に悪口を言うのはやめておこうと思うのであった
以上、悪口で言霊を感じたお話でした。
良くもとれる相手のときに、不用意に悪口を言うのはやめておこう…と思うのでした。同意するのも求めるのも。うーん、言葉の力って正しい使い方をしないといけないね。
ちなみに、会話で出てきた悪口の対象になってしまった方、その職場を退職するときに、メッセージカードをくれたのですよ。
うう…なんかもう本当にすみませんでした!(平謝り)
言葉の力として、口には出していませんでしたが、ずっと頭の中で、「私は人の言っていることがすぐに理解できないから、頭が悪い」と、繰り返し思い続けていた話。

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