こんにちは、ルレムラ(@luremura)です。
「人の言っていることがすぐに理解できずに、ずっと頭が悪いと思って生きていた」シリーズ第四弾です。今回で最終回!
前回はこちら。

今回は、「人の言っていることがすぐに理解できない原因の考察」と、「今、私がどんなふうに考えるようになったか?」などについて触れます。
私が「人の言っていることがすぐに理解できない」ようになったのは何が原因だ?
この「人の言っていることがすぐに理解できない」問題なのですが、「そもそも何が原因なんだ?」という話ですよ。
なんせ小学1年生のときからですから、「機能に不備がある」ともいえますし、もちろん、私自身が望んでなったわけではありません。

なんで私だけ、他の人と同じように、すぐに理解できないんだろう?
と、思い続けていました。
そして、一つ思い当たったのが「父の遺伝」。
「父さん、私はあなたの娘ですよ」の親父の遺伝説
そう、うちの親父さん、「お前は本当にバカだ!」と幼き私に怒っておきながら、こともあろうか自分も「人の言っていることがすぐに理解できない」人なんですよ…!
父は私と同じように、神経質で短気で理解に時間がかかる頭の固い人。文字とか図に書いたほうが分かりやすいタイプ。
いやね、これ書きながら、「それでアンタよく人のことバカだって言えたな!」と、正直思う。
そして、父はこんな発言覚えていないでしょうね(遠い目) 本人に言ったところで、どうにもならないと、もう受けれています…
一方、母はかつて銀行に勤めていたこともあり、口頭でのコミュニケーションが得意な人。
それどころか、銀行員って窓口業務しますから、「人の言っていることがすぐに理解できない」なんて、まず話になりませんからね。
悲しいかな、こういう頭の柔らかさとか知能って、親からの遺伝といいますからね…泣
遺伝に加えて自己肯定感の低さが拍車をかけた
もう一つの原因として、私の場合、遺伝と同時に親から自己肯定感を埋めてもらえなかったのも大きいと思います。
この話、するのが難しい(いや、難しくない?)のですが、「親としては普通に愛情をかけて育てたつもり」なのですね。
しかし、実はそうではなかったという。ああ、もうね、この話ね、ややこしいんですよ。
ある程度、整理がついてきていることですし、今回はこの話しませんが、親から根拠のない自信を与えてもらえなかったがために、「私は人よりちょっと理解が遅いかもしれないけど、理解はできる」と、自分自身を生かす考え方ができなかった。
そもそも自分に自信があったら、分からなくてもきちんと聞き返せるのですよ。
遺伝が先なのか、自己肯定感の低さが先なのか、生まれる前から決められていたことなのかもしれませんが、結果としてこの2つが「人の言っていることがすぐに理解できない」となったのは間違いないと思います。
ようやく「人の言っていることがすぐに理解できない」ことを人に話せるようになったのは20代半ばを過ぎてから
小学1年生のときに気付き、以来、誰にも言わなかった「人の言っていることがすぐに理解できない」。
ようやく人に話せるようになったのは、20代半ばの2社目を辞めた後でした。
1社目も失敗続きだったのですが、2社目で、上司から「言ってることが分からんかえ(土佐弁)」と言われたり、レジの使い方が理解できなかった件などがありまして。
「もう、私が普通に会社で働くのは難しいのでは?」と思い、ついに母親に打ち明けたのでした。
20数年間ずっと誰にも言わなかった秘密を打ち明けたことで、一つ肩の荷が下りた気がします。

以来、仕事で会う人には基本言いませんでしたが、特定の友人などには言えるようになりました
私が言ったことで、母も「ああ、だからか」と、納得したようでした。
なぜなら、1社目で娘が苦労していたのを知っていたので。そして、そんな私に呆れていたフシもあります。
ちなみに、私が打ち明けた後、母は、

お父さんもそうやからね…
と一言。
母からも疑われる父の遺伝なのでした…。

しかし母よ、自己肯定感の低さは親からの影響があるから、正直母の影響も強いのだよ…
私の感覚を母は理解できない
そして、母はかつて銀行員などもしていたこともあり、私の「人の言っていることがすぐに理解できない」感覚を理解できません。
でも、私が母の感覚を理解できないように、それは当然であって仕方のないこと。
もともとの知識の素地もあると思うんですが、例えば病院や葬式屋さんとか保険屋さんとか、口頭で説明を受けるときってありますよね?
私はああいうのも苦手。一つでも聞き漏らしたり、途中で理解できなくなったりしたらどうしよう、とすごく不安になります。
しかし、母は口頭でのコミュニケーションが得意な人なので、きちんと覚えて理解できる。
一度、母と2人並んで保険の説明を聞いていたときも、私はよく分からなかったのに、母はきちんと理解していたことがありました。
母が私と同じ感覚を持っていたら、今頃どうだったんだろう?と思うことはあります。
「頭が悪い」ではなく、「脳の個性」だと捉えることにした
親に「人の言っていることがすぐに理解できない」ことを言った後も、普通に勤め人を続けていたわけですが、ある日、転機が訪れます。それがこの記事でも紹介した、

医師のつくった「頭のよさ」テスト。
この本を数年前にたまたま手にしたことで、「そうか、脳にも個性があって、それが人格になって、人によって視覚や聴覚(認知特性)が優れているか違うんだ」と知ります。
その後、何かのメルマガか忘れてしまったのですが、「人によって得意な理解の経路は違う」という言葉を目にします。
「脳の個性」「認知特性」「理解の経路」と、捉えるようになれた結果、ようやく私は、
「口頭の指示がすぐに理解できない = 別に頭の悪い人間だと思わなくてもいい」
と、思えるようになったのでした。
同時に「これは治せるものじゃないんだな」と、ようやく諦めることができたのでした。
子どものころに、「私もみんなと同じように、いつか大人になれば、人の言っていることがすぐに理解できるようになる」と信じていた。
そして、その気配はついぞ来なかった。
でも、こういう脳を持って生まれてきたのなら、その代わりにもしかすると得た能力や伸びた能力があるのかもしれない。代わりにここで「言語優位者・言語映像タイプ」と分かったし。
もう、「普通の人」がするように「理解をする」のは諦めました。
「頭が悪い」ではなく、「脳の個性」なんだと捉えることで、ようやく自分自身を生かそうと思えるようになったのでした。
今でも人の話を聞いてすぐに理解できる「普通の人」がうらやましい
正直言うと、この「人の言っていることがすぐに理解できない」への対処そのものはできていません。
メモは取るのが下手だし、すぐに言語化して聞けないし、聞きづらい相手に聞くことも聞けません。おそらく、今また勤め人をはじめると、同じことで悩まされるでしょう。
そして今でも、人の話を聞いてすぐに理解できる「普通の人」がうらやましいです。もし、そんな人の頭だったら、もっと人生が違っていただろうとも思います。
ただ、一つ違うのは「私のような人だっているのだ」という認識があること。
この認識は「あなたはこういう人なのですよ」と、症状の名前を告げられるのと似ています。
症状に名前というと、病気のようでマイナスにとる人もいるんですが、原因も分からずにいたころよりも、はるかにマシなのでした。
ある意味「見えないハンディキャップ」を持って
ここまで書いてきた「人の言っていることがすぐに理解できない」は、先天的にとても大変なものを抱えて生きている人と比べたら、非常に些細なことだと思います。(それでもそう言われるのは悲しいけれど)
でも、これもある意味「目には見えないハンディキャップ」なのですよね。
そして思うのが、↓ここでも最後のほうにいろいろ書いているんですが、

人にものを教えたり教育する立場の人は、こういう脳の個性、理解の経路について知っておいてほしいなと願います。
なぜなら、私が「こういう脳の人もいるんだ」という認識を知らずに生きていたために、親や周囲の人から必要以上に傷付くことになったから。
「何か普通と違うな」というのは、何年間も何かに縛られて生きているのかもしれない。
どうしてその人がそういうふうになったのか?まで考える人はめったにいない。見える部分だけで判断しがちなのです。もちろん、私も含めて。
大人になった今、私にできるのは、子どものころの自分に向けて語りかけてあげたり、こうやって記事に痛みを書くことなのかなと思うのでした。
そういえば、「自分自身を生かす」で思い出した。Queenも「君自身を生かさなくちゃ(Keep Yourself Alive)」と歌っている。
それも含めて私なのだ。
今までの「人の言っていることがすぐに理解できない」シリーズはこちら。

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